2017/02/08 22:37
最近になって、来し方を振り返り、ああ、あれが原因だったのだ、あん
なことをしたから顰蹙を買ったのだ、と思い当たることがままある。これ
が結構辛いものでしてね。
若い頃、僕はよく得意先の担当者から誘いをうけて、個人的にその方の
ご自宅に伺ったりしたものだった。しかしそのようなことがあった後、僕
を避けるような素振りをするようになった方が何人もいる。なにかいけな
いことをしてしまったのだろうか。
今にして思うのは、、例えばその方の家の近くのレストランでご家族と
食事に行ったりした時に、僕は相手のご好意に甘えるばかりで、自腹を切
らなかったことがいけなかったのかもしれないなあ、などとふと思い当た
る。ははあ、それがいけなかったのかもなあ。たとえ、上等な土産を持参
しているにせよ、だ。
ケチ臭いヤツ、と思われたのかもしれない。礼儀を知らないヤツと見ら
れたのかもしれない。ただ、言い訳をするつもりはないけれど、僕はご自
宅に誘われた以上はご馳走になるのが礼儀だと思っていたのだ、その時は。
仮に、僕が家に遊びに来ませんか、と人様を誘う場合、その人の財布なん
かは決してあてにはしない。そうでなければ、誘っ
たりはしない。なるほど、仕事の付き合いで得意先と呑みに行ったりする
時は、極力僕が勘定を持つ。それがまあいわば、仕事を回してもらってい
る相手に対するしきたりだと僕も思う。しかし、それが個人的な付き合い
の色を帯びる場合は、むしろ好意に甘えるのが親愛の情というものではな
いのか。相手がたとえ薄給の身であったとしてもだ。
このような僕の思考回路の背景には、ご馳走されることに幼いころから
慣れてきたことにも一因があると考えられる。なにしろ、ある団体の長の
職責に父はいたものだから。僕はいわゆる「ボンボン」だったのだ。そう
呼ばれたりもした。こんなことは自慢にはならない。しかし、いつもご馳
走にあずかる側にいた、ということは色々な意味で人生を左右する。たま
たまそのように生まれついたというだけの話なのだが。しかしまあ、なん
だね、ボンボンってのは疎いね、世事に。いやはや。
後顧の憂いはまだいろいろ。気が向いたらまた語ってみよう。つまらな
い話だけど。