2017/01/29 23:48

 歳を取るとは、どういうことか。いつの間にか、僕も随分歳を取ってしまった。60代
の半ばを過ぎてしまった。しかし、年寄りだとは実は思っていない。不思議不思議。年
寄りではないのだ、僕は、きっと。
 時折、洗面所で鏡を覗き込む。年寄りか否か。皺の在処を確かめてみたりもする。で
も、見るたんび、毎日、年齢が移ろっていて、今ひとつ定かではない。困りましたね。
一体、僕は何歳ぐらいの顔つきをすれば良いのだろう。自分でもよくわからない。
 老人になってしまったのだろうけど、心は若い時のまま、そのまんま、とふと思う。
随分稚拙な自分に驚くときもあれば、若い女性に思わず気持ちが動かされることだって
無きにしもあらず。その時はおそらく僕自身も幼いのだ、あるいは若造なのだ。
 もし気持ちが若いままなら、それは歳を取らないに等しいではないか。そのほうが自
然な気がする。だから僕は、己の生き方として、これ以上歳を取らないことに決めた。
僕は勇気をふり絞って、世界に、あるいは時間に正面から対峙することに決めた。その
ほうが面白いじゃないか。この世界に不可能なんて多分ないのだ。
 以前、パニック傷害を患って随分苦しい思いをしたことがある。不安が兆すと同時に
激しい動悸に襲われる。脈が速くなる。1時間もそれが続くこともあった。ある夜、夢
の中でそいつに襲われた。ただ、それがどうしてだか夢の中の出来事だとその時はわ
かっていた。なんだ、夢の中の出来事だ。ならば、直ぐに治められる。直ぐに元の状態
に戻れるはず。その通りに、10秒も経たぬうちにそれは元の状態に戻った。後日、突然
動悸に襲われた時、ああ、夢の中でも直ぐに治まったのだから、簡単に元に戻るはず、
と思ったら、10秒とはいかないまでも、30秒もしないうちに元に戻った。心療内科の医
師に、僕は不安で起こる動悸の速度を自由に変化させることができる、と自慢した。医師
は、実はそういう催眠での療法があるということは耳にしたことがあるが、実際に出来
る人に初めて出会った、と驚かれた。だから今でも、動悸なら心配はしない。実は不整
脈もパニック障害の延長で起ることを身を以て経験した。これはまだ案外知られていな
いのではないか。だがこれはちょっと難題。夢で不整脈を体験するほかない。
 病は気から、というではないか。実にその通りなのだ。そいつをもう少し敷衍すれば、
齢(よわい)も気から、ではないだろうか。同じ年齢の人なのに、どうしてこうも姿形
が違うのか、ということが事実あるけれど、僕はそこに真実を垣間みる。