2016/06/11 18:35

 最近とみに社会の役に立ちたいと考えるようになった。歳を取ったせいかもしれない。例えばデザインの仕事なんかは、長く見積もっても、僕なんかせいぜいあと10年が良いところだろう。だんだん頭が衰えてくる。なんというか、仕事が大雑把になってくる。もし役に立てるなら今のうちだと本当に思う。
 折角のキャリア、経験の蓄積がある。自分で言うのも変だけれど、これはつまり、ちょっとした労苦の蓄積でもある。仕事を始めた頃は、アイデアをひねり出すのに苦労したものだが、毎日のように挑んでいると、脳内にそれを容易にするネットワークが段々出来てくるらしい。とにかく、飯の種ですからね、とても仕事が速い。束の間に、幾つかのアイデアが浮かぶ。本当ですよ。これを社会のために役立てない手はないと思う。その気になりさえすれば、質を落とさずにかなりの低価格でデザインが提供できるに違いない。
 たとえば最近の出版界の不況、あるいは手詰まりは、なまなかのことでは克服することは難しいのではないか。といって装丁なんかの制作費を惜しんでつまらないものをつくるとますます客は遠ざかり、悪循環を免れない。こういう時こそ、リタイアしかかっている、というかある程度の自由を手にしている僕たちのような、ま、ある種のロートルの出番ではないかと愚考する。ね、そうは思いませんか? でも、ロートルだからといって、見下げてはならない。仕事を続けてきたものの挟持は、絶えず最先端の動向を伺う視点を持ち続けているということ。ここが大切なところだ。
 僕は絵も描いている。この国の市井の人々に、インテリアを楽しむ雰囲気というか余裕(ゆとり)を取り戻してもらいたいと切に願っている。偉そうだけど。ちょっとした工夫で住環境は美しくなる。住み心地が改善する。気分が良くなる。絵画や版画は、それを可能にするとても重要なアイテムだ。もちろん、泰西名画の複製でも、どこにでもあるような富士山の絵でも良いようなものだけれど、やっぱりここはひとつ、現代のもの、新しいものを飾っていただきたい。アートを暮らしの中に持ち込んでもらいたい。ただ、ちょっと高いですね、絵は。画家の方々も、値段をつり上げることなんかに熱中しないで、一時、芸術至上主義を脇にどけて、もっと社会の役に立つことを考えましょうよ。僕なんかは社会的に大した評価が無いぶん、うんと安くして(といってボランティアはいけません)、気に入ってくれる人に提供しようと思う。先だっても随分価格を引き下げたけれど、実はもっとギリギリまで下げても良いと思っている。人様の役に立てるなら、これほどの甲斐はない。アートの価格なんて、あって無きがごとし。ね、そうは思いませんか?
 目下、この辺りのことをじっくりと思案中。なんだか楽しくなってきたぞ。