2016/03/31 12:10

 このところ、東京の画廊に僕のジクレーの案内を出している。時に「ジクレーは来るお客様に受け入れられないことが多く、やっておりません。」とのご返事が返ってくる。ということは、一度は販売に手を染められたということですね。なら致し方ない。それはでも、承知の上。
 シルクスクリーンが出回り始めたころも、ちょうど同じような感じではなかったかと思う。リトグラフなら扱う、という画廊も多かったのではなかったか。ジクレー(ピエゾグラフ)は、いわゆる電子版画ともよばれるもので、顔料インクのプリンターで刷るのだが、いまだにこれを、ただの複製画だと思っている人もいるようだ。確かに複製を刷る場合の再現力は、精緻を極め、デジタルの技術を使っているので、今も進化の一途を辿っている。本当に、凄い。しかし、その色味を調整するのは、あくまで人間の感覚に委ねられており、実際、事はそれほど簡単な話ではない。
 最近ではPhotoshopなどのツールを使ったり、線や絵を描き、それをスキャニングして加工したりと、最初からこれで刷ることを念頭において制作する人も増えてきている。僕もそのうちの一人だ。
 ジクレーはなによりとても繊細で美しい。リトグラフやシルクスクリーンと違って油性のインクを使わないので、あのベッタリと塗りつぶされたような嫌な感じがまったくない。僕はむしろ、リトグラフやシルクスクリーンのほうをを良しとする人たちの感覚、審美眼を疑いますね。
 例えば、篠田桃紅の版画。墨の原画は、時に淡く、時に濃く、まさに自在でとても美しいが、版画となるとただのベッタリとした線でしかない。これじゃ篠田さんが可哀想。まあ、お金にはなるのかもしれないけど。これを考えた人は美とはほど遠い、ただの商売人ではないかと実は思っている。現在のジクレーの再現力をもってすれば、相当な近似値が得られるだろうし、顔料のインクだから、繊細な筆圧や、複雑な墨の色味もかなり近い感じで表現できるに違いない。おまけに、和紙にだって刷ることができる。
 もう一点は、環境への配慮。これは決してゆるがせにはできない。木版画や銅版画はその独特の美に免じて存在が許されるだろうが(インクだって、銅版画では1色だし、大体が小品なので使う量も多寡が知れている)、油性のものはやはり極力減らして行くべきではないかと思う。美大なんかも、授業はそろそろリトやシルクからジクレーのほうに移行させて行くべきだろう。もっともっとこのことは真剣に考えなくてはならないと思うのだが。