2016/02/06 18:10

 さあて難しい問題だぞ。僕は大学を途中でやめた、というか学費滞納で除籍になった人間なので、偉そうなことは言えないけど、学校なんて行っても行かなくてもどうだって構わないと昔から思っている。そう、どうだって構わない。人間にとって大した問題ではない、と思っている人間だ。
 なぜこんなことを突然言い出したかというと、行きつけのコーヒー店を、受験生たちが自習室代わりに使っているのを見て苦々しく思ったから。なんだか切なくなったから。何をそんなに思い詰めているのだろう。何にそんなに懸命なのだ。一体、こんな場所で勉強なんかしていいことなんかあるのかしら。
 この歳になるまで、僕はいろんな人をこの目で見てきた。学歴で言うなら、東大を出た人もいれば、一からの叩き上げの人もいる。でも、僕が知る限りでは、どちらも素晴らしい人たちだったと言うほかない。人間の値打ちに何ら変わりがない。本当です。
 僕はどちらかと言えば、すべてを独学でやってきた人間なので(雅楽だけは別。これは口伝だから)、後者になるのかな。なにかやってみたい仕事があるなら、図書館にでも行けば参考書がごまんとある。十分独学で学べる。あるいは弟子入りすれば手に職がつく。自信がついたら、売り込めばよい。自立できれば申し分ない。もっとも、資格が要る仕事は別だけど。
 僕はコピーライターでもあったけれど(事実、こちらの稼ぎのほうが良かったかもしれない)、超がつくような大手のメーカーが、アメリカのこれも有名なメーカーを吸収合併する際、全国のチェーン店なんかへの部長名義の挨拶文を僕が起草した。嘘でしょう? そんなことってありますかね? この会社は、さすがに一流大学をでた人ばかり。挨拶文ぐらい書こうと思えば何でもないはず。もちろん、この方々の怠慢を話題にしているのではない。さすがに皆さんご立派な方々だった。でもね、つまり、社会とは、まあだいたいこのようなもの、と改めて受験生たちに吹き込みたいのだ。この国は、断じて学歴万能の社会なんかではない。むしろ非情な実力の社会と言って良いだろう。騙されてはならない。
 僕の一番の親友は、銀座の生まれで、成績も抜群。でも、東大の受験の日に必ず下痢をするという繊細な男で、しょうがなくて、二番手の横浜の国立大学に行った。文字通り、都落ち。通学の経費だって馬鹿にならない。ちょっと、なんだな、哀しいというか、辛い過去ではあるのだけれど、結局は初志を貫いて大手の通信社でジャーナリストとして活躍した。おまけに、こういう変な人だから、いい歳をしてビートルズだのジミヘンだのにお熱を上げて、リタイアした今でも親父バンドでギターかなんかを弾いている。いいじゃん、いいじゃん。僕はこういう人間に親しみを覚えるのだ。こういう人間だからこそ、味わいも深い。
 どこの学校を出たかなんて、僕にはまったく興味がない。僕が興味を抱くのは、その人そのものの魅力だ。男でも女でも、その人が美しい佇まいの人というだけで、僕はどんな立派な学歴より上に置く。ただ、この佇まいというのがちょいと厄介。姿や形だけじゃないから。
 何処の学校だって、学校なんかに行ってなくたって、どうだっていいじゃないか。一所懸命ならなんとかなりますさ。この世はそう捨てたものではない。受験ごときに一遍や二偏失敗したからといって、そう嘆きなさんな。何度でも人生はリセットができるのだから。