2016/01/06 22:56

 山田耕筰は昨年がちょうど没後50年だったので、今年から著作権が切れて作品が自由に使えるはずだ(たぶん)。前々から「赤とんぼ」の編曲を世に問いたいと思っていたが、かなり前に、すでに密かに無伴奏の混声合唱と弦楽四重奏の編曲を済ませていたので、そろそろYouTubeにでもアップしようかと考えている。
 この「赤とんぼ」については、ちょっと面白い話がある。團伊玖麿はあるとき、作曲の師だった山田耕筰に、「赤とんぼ」のイントネーションについて疑問を呈した。先生はいつも、標準語のイントネーションになるべく沿ってメロディーをつけるようにおっしゃるが、「赤とんぼ」の「赤」の「あ」のほうが高いのはおかしいのではありませんか、と。すると師のたまわく、昔は「あ」の方が高かったのだと。なるほど、今でもたしかに、「赤」だけなら「あ↘か」と音が下がる。昔はどうやらその後に「とんぼ」を低いまま続けたものらしい(あ↘か→と→ん→ぼ)。團伊玖麿も初耳だったみたいで、東京生まれの人でそうなのだから、僕なんか田舎者はなおのこと驚いた。 
 そうそう、鎌倉の「由比ケ浜」も、地元の人は最初の「ゆ」を高く発音するようですよ(ゆ↘い→が→は→ま)。その発音を遊び半分で真似していたら、あらあら不思議、いつのまにかそれが板についてしまった。地元の人ぶっていると思われたくないので、早く元に戻したいけれど、それがなかなか巧くいかなくてちょっと困っている。参ったなあ。
 そうそう、「十五で姐やは嫁に」行ってはいけない、というので、戦後この三番の歌詞が一時教科書から外されていたというのも耳にしたことがある。これも随分と幼稚な話。だって、詩なんだもの、なんだって起りますさ。なんだって有りまさあね。そもそも昔は十五かそのあたりで嫁に行くのが当たり前だったのだから、史実として教えればいいのだ。役人というものがいかに低能かつ無教養かつ傲慢な存在か、ということを如実に物語っている。でもこれは、今に始まったことではない。
 国民の目から何かを隠しはじめると、戦争がまた近づいてくる、とこぞって過剰に反応しよう。冗談ではなく。