2015/12/29 08:57
さっき探し物をしていたら、ホームページ(目下工事中)に掲載していた「鎌倉のスケッチのこと」というファイルが見つかった。もう5、6年前の記事だけど、考えは今もまったく変わっていないので、ここで再びご披露しようと思う。鎌倉のスケッチとは、このショップでも展示しているスケッチのことで、記事は(1)と(2)の二編。以前読まれた方もおいでかと思う。
鎌倉のスケッチのこと(1)
鎌倉とは名ばかりの、端っこも端っこ、藤沢市と横浜市から明日にも攻め込まれそうなところに住んでいる。
だが、良い所もないではない。なにしろ緑が多い。山が多い。畑も多い。僕は「鎌倉のウクライナ」と呼んでいる。すこし狭いような気もするが。
毎日近所を散歩していると、さすがに飽きてくる。暇ができると、電車に乗って、「鎌倉」に行く。そして、先ずは駅からすぐの若宮大路というメインストリートに出て、辺りをぐるりとヘイゲイする。
鎌倉では、街の風景の絵葉書がなぜか見当たらない。江ノ電の、踏切と猫、なんていう絵柄はあるのだが。前々から不思議に思っていたが、スケッチを始めてみて思い知らされた。一体全体この国の人達は街の景観に無頓着だが、メインストリート以外では蜘蛛の巣のように電線が張り巡らされ、それも妙に黒々と太く、視界を遮っている。これでは絵も写真もあったものではない。
以前、経費は画廊と折半という条件で個展を開いたとき、「(少しは売れないとこちらも困るから)抽象だけじゃなく、ヨーロッパや花のスケッチやなんか、半分ぐらいはなにかそういうものにしてくれませんか」と上品に強要され、気はすすまなかったが、半分ぐらいはそういうのを捏造して壁に懸けた。
ある夕方、アヴェック(古いね)がほろ酔いで入ってきて、男のほうが、そのスケッチのほうに向かってやおら両手を拡げ、「こちらは要らない」と大声で宣った。聞くと、パリ帰りの絵描きさんだという。小生は生まれつきヘソが少し曲っている。よーし、これからもスケッチを描き続けるぞ、とその時心に決めた。
最近、装丁の仕事が面白くて楽しくて仕方がない。それがどんな内容の本であっても、ワクワクする。抽象画のアイデアをひねり出すときにも似た、あの勇躍的な高揚感。それに、どちらもモノマネをするとすぐにバレるし、馬鹿にされるので、スリリングこの上ない。
一方、スケッチは抽象画とは対照的に、描いているときはほとんど無我の境地というのか、ボーっとしているように思う。筆で色を置くときは、さすがにすこし考えもし、慎重にもなるが。
気分転換にもってこいである。それにしても、鎌倉の街角で絵になるアングルを探すのはいささか骨が折れる。電線や電柱は見て見ぬふりをするとして、どこかに絵になるアングルは隠れていないか。目を皿のようにして、辻辻をねめまわす。なに、踏切だってかまやしない。こうなると自虐的な気分も加わって、なかなか愉快である。いやはや。