2015/11/21 17:52

 不思議なこともあるものだ。何を隠そう、僕には尊敬する作曲家が4人いるが、その全ての方と偶然遭遇している。目と鼻の先でまみえている。その4人とは、武満徹、黛敏郎、湯浅譲二、中田喜直の各氏。そうそう、團伊玖磨氏にも遭っているけれど、でもそれは、一時期、氏の事務所があった同じ赤坂のビルの中にスタジオを構えていたからに過ぎない。もちろん、氏のことは尊敬していますさ。彼の「パイプのけむり」は僕の愛読書だった。でも、上記以外の作曲家には一人も遭っていないのだから、やはりとても不思議なことではないだろうか。これから回を追って、遭遇の経緯を書いてみようと思う。敬称は略します。いずれも名にしおう大家だもの。

 武満徹は、僕が作曲家を志すきっかけを作ってくれた人。高校生の時だったか、初めて彼の「弦楽のためのレクイエム」を耳にしたとき、こんなに深く美しい音楽がこの世にあるのかと驚いた。それ以来、彼は僕の憧れの的となった。こういうふうにして彼のファンになった方、案外多いのではないだろうか。それほどの衝撃だった。あるいは、彼が独学の人であったことも、僕にとっては大きかったように思う。もはや音楽学校には進学できないことが目に見えていたから。僕だって、もしかして作曲家になれるかもしれない。
 あれは、上京してまだ間もない頃だった。当時アルバイトをしながら、宮内庁の上明彦氏と雅楽道友会の薗広教氏に雅楽を教わりながら、独学で作曲を勉強していたが、ちょうどその頃、渋谷のパルコに西武劇場が開館し、そこで武満徹が「今日の音楽」(だったと思う)というコンサートをプロデュースするという。たまたま、雅楽や能楽の「唱歌」を取り上げると聞き及んで、僕には決して安い切符ではなかったけど、思いきって出かけてみた。
 ロビーで行き交ったのだ、彼と、突然。僕よりまだ小さい人だった。しばらく(ごくしばらく、かな)、お互いに見つめ合ったように思う。錯覚かもしれないが、目を覗きこまれたような気がした。瞬間、とても緊張したのを覚えている。ああ、武満さんだ。今でもその時のことを、鮮やかに思い出す。僕にとっては、宝物のような記憶、とでも言うほかない。
 余談だけど、最近、鎌倉の八幡宮の境内にある神奈川県立美術館で、彼が参加していた「実験工房」の展覧会があり、彼の自筆楽譜を目にする機会を得た。作曲を始める前に何本もの鉛筆を削って机の上に並べ、ドロップを舐めながら五線紙に向かったと聞いたことがある。その通り、とても繊細で几帳面な、綺麗な楽譜。思わず、ちょっと泣き出したいような気持ちになった。