2015/09/10 08:40

 東慶寺の境内、山門に向かって左側に喫茶「吉野」はある。
 40年も前に初めて親友と訪れて以来、二人ともとても気に入って、鎌倉に遊ぶ時は必ずといっていいほど立ち寄った。四季折々、ここでコーヒーとフルーツケーキを朝食代わりにして、浄智寺の裏手から源氏山を越えて銭洗い弁天辺りに降りていくのが常だった。ちなみに昼食は決まって「モンテコスタ」。たしか30年ほど前に姿を消したけど、枯山水の庭が望めるとても素敵なイタリア料理の店だった。
 端っこのほうとはいえ、まさかこの街の住人になろうとは思いもしなかった。鎌倉に電車で用足しに出た折などは、気が向けば散歩で北鎌倉まで歩くことになり、そのような場合は「吉野」に必ずといってよいほど立ち寄る。前にも書いたけど、先月は、僕をわざわざ尋ねてきてくれたバージニア大学の女子大生を、通訳の方ともどもここに伴った。二人とも口々にとても気に入ったと言っていた。ちょっと面目をほどこした気分。
 もちろんコーヒーも旨い。昔はカウンターの中にサイフォン(?)が並んでいて、小さな音を立てていたように憶えている。今はどうだったかしら。腰をかけて窓外の庭を眺めるともなく眺めていると、時間のほうが勝手に流れてくれる。庭の眺めだって、店内の調度だって、なにもかもが40年前のままだ(と思う)。これは希有なこと。とても有難いこと。ごく静かにクラシックが流れているのも嬉しい。
 つい先だっての日曜日、ここまで真直ぐバスと電車を乗り継いでやってきて、アイスコーヒーを飲んでから、郊外のマンションまで歩いて帰った。1時間程度のウォーキング。実にいい塩梅。それまでは、朝早く、散歩と買い物がてら行きつけのコーヒー店に立ち寄るのが常だったけど、夏の暑さのせいか、戻ってからの仕事に差しつかえた。下手をすると、一日を棒に振る始末。たぶん歳のせいでしょうね。しかたなく、予定の仕事を片付けてから、午後から夕方にかけて歩くことにした。僕にとってこのコーヒー店は、ある意味、特別な存在だったので、行けないのはかなりキツい。でも、仕事をサボるわけにもいかないし。じゃあ午後はというと、この店はとんでもなく混んでいて、僕のような不良老人が入る余地はない。それに、馴染みのスタッフの人たちはこの時間には多分いない。だから行ってもしょうがない、という寸法。
 毎日、仕事だけでは実に無聊。大げさだけど、なんだか生きている甲斐もない。これからは、せめて日曜日ぐらいは、先日のように「吉野」でひとときを気ままに過ごそうと思う。僕の絵や音楽に少しでも興味のある方(なくても別に構いませんけど)、もしよろしければ午後のひとときをご一緒にいかが? 「吉野」は、一度ならず訪ねていただきたいお店だ。もっとも、ブログの読者はほとんどが東京か地方の方のようなので、遠路わざわざお出かけになるのもねえ。まあ、記憶の片隅にでも残しておいてくだされば、そのうちお会いできる機会が来ないとも限らない。もっとも、当方が急用で行けないこともあるし、そのあたりはゆるーく。あえて、行けるかどうかの予告なんて無粋なことはしない。
 先だっての日曜日は、1時37分にマンションのすぐ前で乗れるバスがあった。これを使うと、意外に早くて「吉野」にはたしか2時過ぎには着くことができる。そのあたりから、僕はきっと独りでのほほんとコーヒーを啜っているはず。そう、のほほんと。
(最近は日曜日の吉野行は取り止めています。悪しからず)