2015/09/04 08:15

 時間を潰すなんてもったいない、と思うけど、たとえば診察室の待ち時間。僕がかかっている内科なんかは、まず最短で1時間半は覚悟しなければならない(よくこれで患者が減らないものだ)。まず、受付に診察券を預けてからコーヒー店に直行し、時間を潰す。それでも1時間は潰れない。医院に戻ってから、まだ小一時間潰さなくちゃならない。さて、諸君ならどうやって過ごしますかね?
 先月は、ちょうど古井由吉の「雨の裾」というのを読み始めたばかりで、それを持っていったが、単行本だからかさ張るうえに、重い。案の定、待合室ではちっとも読み進めずにすぐにあきらめた。だいたい、この本は文体が文体なので、僕のオツムだと普通の倍の時間をかけないと内容が呑み込めない。つまり、ゆっくりと味わいながら読む本なのだ。ああ、カズオ・イシグロの文庫本のほうにすればよかったと後悔した。だいたい、鞄に詰めて持ち歩くなら文庫本か、洋書ならペーパーバックと相場が決まっている。それに、ハードカバーだと、顔つきも賢そうにしていないと様にならない。そっと視線をさまよわせたりして。これはかなり骨が折れそう。
 もとより、喫茶店のようなところでは、はなから読書は無理と経験でわかっている。客たちの話し声や視線、店の音楽やなんかが気になって本をひもとくどころではない。僕はこれでかなり集中できるほうだと自負しているけれど。それに、学生の頃ならまだしも、1時間以上長っ尻をするなら、よい大人なら途中で飲みもののお代わりを、頃合をみて頼まなくちゃならない。そのこともなんだかちょっと気になって、結局本を読むどころの話ではなくなる。最初から一緒にケーキでもとっておけば話は別だが、僕にとって甘いものは目に毒だし(でもこれは建前)。
 僕は、だから、なるべく人目につかないようにして、小さなクロッキーブックを開き、イヤホンで音楽を聴きながら、うつむいて絵のサムネールを考えたり、描いたりするのが常だ。これなら、ビジネスマンがなにか手帳にメモをしているのだな、ぐらいにしか見えないだろう。もっとも、ポロシャツのビジネスマンもないものだけど。もちろん、ノートブックのパソコンなんかは思いもよらない。そもそもあんな重いものを持ち歩くなんて、あんまりだ。
 そうだ、楽譜の校正ぐらいならなんとかできそう。でも、これはパソコンよりもっと恥ずかしいな。なんだか軟派の、特殊な人種のように人の目に映ってしまうではないか。あなおそろしや。そういえば、先だって、行きつけのコーヒー店の、それも一番人目につくところ(カウンターに並ぶ行列の脇あたり)で、音階ばかりが並んでいるような不思議なパート譜のようなものを広げ、オタマジャクシか言葉か何かを書き込んでいる青年を見かけた。とても驚いた。つわものだなあ。驚き、桃ノ木、山椒の木。