2015/06/09 21:27

 齢を重ねると、ふつうは段々、心の自由と無邪気が手に入るのではないだろうか。どうもそんな気がする。
 ところで最近、僕にも、まだ小さいものの、羽根 が生え始めた。なんだかちょっと面白いので、あっちにふらふら、こっちにふらふらと羽ばたいてみる。たとえば、これまで親しんできた絵や音楽にとどまら ず、なんにでも触ってみたくなる。小説(もどき)なんかもそう。でも大して才能はない。これまで仕事でコピーなど頼まれるままに書いてきたが、詩や小説となると話 は別だ。まあでも、楽しめればそれで良いではないか。時間がたっぷりと残されているわけでもない。
 ただ老人の飛行は、時に、若い人たちに迷惑をかけることがある。ふらふらと浮遊している分、どうもそのあたりの距離感というのか、近づき方がいまひとつ覚束ない。困ったことだ。しかしまあ、こればかりはその時々の当たり触り、とでもいうか、感覚や触覚をたよりに近づいていくほかない。少しずつ、少しずつ近づいては、ちょっと遠のいてみたりする。やれやれ。世代間の溝? そんなものはないと思う、きっと。人はすぐそんなことを言いたがるけど、そんな問題じゃないんだと思う。もしあるとすれば、たぶん齢がもたらすところの謙虚に由来するのではないかしら。つまり、眩しいのだ、若さが。そんなところだ。
 齢を重ねるにつれて、アイデアは枯れていき、創作意欲も衰えていくだろうと思っていた。でもそれは大きな間違い。心が自由に、無邪気になっていく分、なんだって出来そうな気分が生まれてくる。これは、人によってさまざまなのかもしれないけど。ことに、絵やデザイン。これまでどれほど自分に制約を科してきたことか。デザインなどはクライアントのいることだから無理もないが、果たして己の未熟の故ではなかったのか、それは。
 いずれにしても齢をとるのは、なかなか面白い体験だ。未知との遭遇なのかな、つまり。目が少しずつかすんでゆくにつれ、世界が少しずつ美しくなってゆく、という寸法なのかもしれないね。これからしばらくの間、さてなにが生まれてくるものやら。どんな人と巡り会うものやら。とても楽しみ。